【愛犬とおでかけ】平安京の悪疫退散を祈って創建された「今宮神社」を散歩する。
今宮神社は、京都市北区の紫野にあり、京都市北区・上京区において大きな氏子区域を持ち、祭礼の規模が比較的大きな神社として知られています。建都以降、平安京は都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祇園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれました。今宮社の紫野御霊会もその一つで、これが今宮神社の起源となっています。今回は、この今宮神社を散歩します。
※今宮神社では、愛犬はキャリーケースやバッグ等に入れてあげてください。地面に足を付けなければ拝観可能とのことです。また、他の参拝者に配慮をし最低限のルールやマナーを守って散歩を楽しんでください。
門前通り
北大路通りの今宮門前の交差点からのびる今宮門前通を北に進むと、やがて特徴的な大徳寺の瓦土塀が右側に見えてきます。広大な敷地に龍源院、大仙院など数多くの塔頭(たっちゅう)寺院を有する大徳寺は、鎌倉時代の創建とされていて、千利休や、豊臣秀吉はじめ戦国武将たちともゆかりが深く、洛北の象徴となる大寺院です。最近このあたりにも海外からの観光客が増えてきました。
今宮神社
一条天皇の御代である994年(正暦5年)、この地に祀る疫神を二基の神輿にて船岡山に安置し、悪疫退散を祈りました。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源とされています。そしてこの時、京中の老若男女は神輿に供し船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唄い踊り、疫神を追い立てて無病息災を祈ったとされ、これが京の三奇祭の一つである「やすらい祭」となり、国の重要無形民俗文化財に指定されて現在に伝わっています。
1694年(元禄7年)に造営され、1846年(弘化3年)に改修された、登録有形文化財の拝殿です。取材したのは11月のはじめ頃だったので、七五三参りの家族連れを多くみかけました。
今宮神社の本殿です。1896年(明治29年)に消失したため、1902年(明治35年)に再建されました。国の登録有形文化財となっています。
桂昌院
桂昌院(けいしょういん)は、1628年(寛永5年)、西陣で八百屋の次女に生まれ、名を玉といいました。
その後公家二条家に出入りの本庄宗利の娘となり、関白家の鷹司孝子に仕えましたが、やがて孝子が将軍家光に入嫁するのに伴われて江戸城に入り大奥で仕えているうち、春日の局に認められて家光の側室となり、後に五代将軍となる綱吉を生んでその生母となったことから、「玉の輿」の言葉の起源とも言われています。桂昌院は故郷である西陣の興隆に努めるとともに、産土の社今宮神社の再興にも力を尽くし、社領百石を寄進して社殿を修復、四基の祭鉾も新たに設えられた今宮の祭礼は往時を凌ぐほどの盛況を取り戻しました。
阿呆賢さん
阿呆賢(あほかし)さんは古くから「神占石(かみうらいし)」「重軽石(おもかるいし)」とも言われ、病弱な者はこの石に心を込めて、病気平癒を祈り、軽く手で撫で身体の悪いところを摩れば、健康の回復を早めるとの言い伝えや、掌で撫でたうえで石を持ち上げ、その際に軽く感じられれば、願いがかなうという言い伝えがあります。
あぶり餅
今宮神社の門前菓子として有名なあぶり餅は、東門の門前に参道をはさんで建つ「一文字屋和輔」(いちもんじやわすけ)と「かざりや」の2軒の店で販売されています。祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まりとされ、親指大にちぎった餅にきな粉をまぶし、竹串に刺したものを備長炭であぶって、白味噌のたれをかけて提供されています。以前から行列が絶えないほどの人気を博していましたが、最近はその行列もさらに長くなっているようです。
今宮神社は、京都市街中心からはやや離れた北部に位置し、清水寺や八坂神社、あるいは伏見稲荷大社ほど有名な寺社ではありませんが、落ち着いた雰囲気の中で京都らしい風情を感じることのできる神社です。ぜひ一度愛犬と一緒に訪れてみてください。
京のシッポでは、今後も愛犬と一緒に散歩できる、素敵な場所や面白いスポットを紹介してまいります。次回の記事もどうかお楽しみに!
今宮神社:京都府京都市北区紫野今宮町 |
最寄駅: 京都市バス 今宮神社前バス停下車すぐ、船岡山バス停下車徒歩約7分(500m) |
今宮神社のホームページへ |